脚本を書いた理由

第81回アカデミー賞授賞式で「ミルク」で脚本賞を受賞したダスティン・ランス・ブラックは受賞のスピーチで「この映画を作るのは簡単ではなく、皆さんに感謝する。」という言葉とともに、人の命を救う映画が作れたこと、男性同士がいつか結婚できる日を信じていることに加えて、たとえ偏見があったとしても、人は平等になることができる。と脚本賞を受賞した喜びをスピーチで表しました。

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ミルクのメッセージを受けた若者

1974年6月10日にカリフォルニアで誕生したダスティン・ランス・ブラックは、ハーヴェイ・ミルクの最後の8年間の数年重なっていますが、まだ幼少ということもあってほとんどリアルタイムでは知ることのない世代です。

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ダスティン・ランス・ブラック

ダスティン・ランス・ブラックがハーヴェイ・ミルクを知ることになったのは1990年代の初めです。ダスティン・ランス・ブラックが育ったのは、テキサス州サンアントニオで父親はモルモン教の宣教師ということもあって、子どもの頃に母親からモルモン教の洗礼を受けて育っています。

家族の中はモルモン教がすべての家庭環境に加えて、周囲は軍事基地というなかで育った中で、6~7歳の頃に近所の男の子にほのかな恋心を抱いた自分の感情に戸惑って成長するにつれてセクシュアリティを確信するにつれて、ますます内気になっていっそのこと自分をこの世の中から葬ればいいと自殺を考えたりと、内へ内へ篭っていた時に、ハーヴェイ・ミルクの1984年作品のドキュメンタリー映画に出会います。

ドキュメンタリー作品で、ハーヴェイ・ミルクの演説がありますがその中で「デモインとかサントニオとかのどこかで、だれか若いゲイがある日新聞を開いてその見出しを見つけるんだ。【ホモセクシュアルの男がサンフランシスコで当選】そしてその子は気がつくんだ。きっと、世界はこれから良くなる、きっと明日はもっと良くなる。僕には希望があると気がつくんだ。」というミルクの演説を見て、ダスティン・ランス・ブラックは号泣したそうです。

ハーヴェイ・ミルクの「希望」の演説で語られた『その子』がまさに自分で、ダスティン・ランス・ブラックはサントニオという街で育っただけに余計に自分の心にずっしりとミルクの演説が心に染みました。そしてその演説で自分のセクショナリティに自身を持つことに繋がっただけではなく、ハーヴェイ・ミルクの物語をもう一度世間に広めて、ミルクのメッセージを語り継ぐ必要があることに目覚めたのです。

ドキュメンタリー映画を観てから数年後に、映画やテレビ界というエンターテイメントの世界で働くことになり、最初は作家や演出家をしながらキャリアを重ねて行く中でミルクの物語を書き上げたいと思い続け、リサーチし続けてハーヴェイ・ミルクと関わった関係者達に会ってインタビューを重ねること3年。そして執筆に1年の合計4年の歳月を経て、出来上がったのが「ミルク」の脚本でした。

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