ガス・ヴァン・サント監督

「ミルク」を監督したガス・ヴァン・サント監督自身も、自分自身がゲイであることをカムアウトしています。ハーヴェイ・ミルクが演説で「COMEOUT」を呼びかけたようにです。ヒゲをはやしたオーストリアの女装歌手が話題になりましたが、コンチータ・ウルストが訴えたいのは「人は自分のしたいことを、なんでもできることを世界に示したかった」というように、男でも女でもなくまず「人」であることが大事なのです。

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「ミルク」映画化まで

1世代を10年とするなら、「ミルク」を監督したガス・ヴァン・サント監督は1952年生まれなのでハーヴェイ・ミルクより2世代後にケンタッキー州で誕生した増した。監督はハーヴェイ・ミルクが暗殺された1978年当時に、ハリウッドで活動していましたがハーヴェイ・ミルクという名前は知ってはいたものの、ガス・ヴァン・サント監督自身もゲイであることをカミングアウトしていない。ということもあって、ゲイ・コミュニティとは繋がりはなったそうです。

監督がハーヴェイ・ミルクのことを知るきっかけになったのは、1984年に製作されたハーヴェイ・ミルクのドキュメンタリー映画です。このドキュメンタリー作品も長編ドキュメンタリー賞を第57回アカデミー賞で受賞していますが、この作品にはハーヴェイ・ミルク自身も登場しているだけではなく、ジャーナリスティクな記録そのものを多く収録されています。選挙に2度落選してから当選していますが、市議となる前のハーヴェイ・ミルクの活動はもとよりハーヴェイ・ミルクが暗殺されたことを受けて、ゲイ・コミュニティがどのように反応したのかも知ることができます。

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脚本家との出会い

ガス・ヴァン・サント監督は、1970年当時のハーヴェイ・ミルクが活動したカストロ・ストリートそのものも大変魅力に感じました。そして1970年代という時代にあそこで起きたことを社会的にしっかりと描きたいと思ってまず最初に監督自身で脚本も書いています。監督が脚本を書いた時期の監督としてのキャリアは、駆け出しだったこともあって、「監督したい」と企画書を持って行ってもすぐにOKがすんなり出るはずもなかったために、有名俳優のトム・クルーズそしてショーン・ペンにシナリオを送ってはいましたが、送ったままで特にフォローをいれてなかったためにうやむやになっていました。

そのあとに、「ミルク」の脚本をダスティン・ランス・ブラックが、ガス・ヴァン・サント監督の所に持ち込んできました。脚本を書いたダスティン・ランス・ブラック自身もゲイですが、彼が1990年代初頭にサンフランシスコに訪れた時には、AIDSがサンフランシスコのゲイコミュニティを壊滅的にしていた時で、ハーヴェイ・ミルクの存在が唯一の希望に思えたそうです。

そして自身もセクシュアリティに悩み自殺を考えたりした中で、ハーヴェイ・ミルクのドキュメンタリー映画を見てハーヴェィ・ミルクの存在をしりその動をしることで希望を見出すことになりました。そして3年間に渡って、ミルクの選挙活動を支えた助手や元サンフランシスコ市長に会って話を聞き、ミルクの人生を統括的に描いたこの「ミルク」の脚本を完成させました。

ダスティン・ランス・ブラックが「ミルク」の脚本を、ガス・ヴァン・サント監督の所に持ち込み監督は脚本に目を通しましたが、この脚本に新しいチャンスが生まれたことを感じて、プロデューサーを脚本家と一緒に探してさらに脚本を練り上げていきました。

そしてショーン・ペンにハーヴェイ・ミルク役を改めて依頼しますが、ショーン・ペンは以前に監督が書いた脚本を送ったこともあることに加えて、ショーン・ペン自身も政治的な発信していること、そして今までショーン・ぺンが演じた事のない役にも魅力を感じて依頼を出しますが、監督の思ったとおりに見事な演技でハーヴェイ・ミルクのもつ魅力的なそして初々しいミルクの雰囲気を見事に演じました。

映画「ミルク」が製作されるまでは、長い時間がかかりましたが「ミルク」は最初は少ない映画館で2008年11月26日に劇場が限定されての公開でしたが、映画を見た人たちの口コミで話題になりが約2ヵ月後に拡大での映画公開となりました。監督が10年以上前からハーヴェイ・ミルクを社会学的にきっちりと描きたいと思った作品がダスティン・ランス・ブラックの脚本と出会ったこと、全てが繋がって「ミルク」は完成しました。

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